努力して、成長するべき!
努力して、一人前になるべき!
努力して、いっぱい稼ぐべき!
日本では、昔からこういう言葉を耳にタコができるほど聞きます。
日本では、努力が美徳であるという概念がはびこっていますが、果たしてそれらは本当に正しいのでしょうか。
確かに努力することは素晴らしいことだと思いますし、それを否定するつもりはありません。
ただ、私がここで問いたいのは、その努力が誰に対してでも等しく正しいことなのでしょうか。
その曲の中で、「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」という歌詞があります。
この歌詞通り、一人一人、明るい人や怠け者な人、真面目な人や涙脆い人など様々な個性があり、そのどれもが全て特別でかけがえのないものであるという意味にとれます。
さてここで今回の努力というキーワードについても等しく、上記のすべての人にとって正しいことなのでしょうか。
私は、ある意味正しく、ある意味正しくないと思います。
私は、現代社会において皆平等に努力しなさいという、漠然とした一種の空気が漂っているように感じざるを得ないのですが、果たしてそれらの行き着く先には、本当の幸せが待っているのでしょうか。
皆が等しく努力することと、本当の幸せは=ではないと思うんです。
明るくなりたい人がいれば、そうならなくてもいい人だっているはずです。
お金に関しても、ものすごく稼ぎたい人がいれば、そこそこでいい人もいますし、それは人それぞれです。
つまり、努力の形とは人それぞれ違ったものでも良いし、必ずしもなくてはいけないわけではないということです。
日本に住む多くの人々は、いい大学を出て、同じ職業を目指して資格取得をし、就職し、家庭を持ち、定年まで働くということを行っていますが、一度よく考えてみてもいいのではないでしょうか。
そこそこ暮らすことが目的なら、バイトや非正規でも良くてわざわざ正社員になる必要はないですよね。
勉強をしたくない人は大学に通わずに、そのまま働くこともできますよね。
ましてや、今の大学はオンライン授業のみなんて話もありますし、それならわざわざ高い授業料を払ってまで入る必要はないですよね。
寝たい人は思い切り寝たらいいじゃないですか。
働きたくないなら、働かなくてもいいじゃないですか。
仕事を休みたいときは休めばいいじゃないですか。
努力できる人が、努力できるときに、努力すればいいんです。
それでもなぜ多くの人が、同じ方向に努力するかと言うと、日々の生活や将来が不安だからですよね。
仕事が無くなったらどうしよう、
資格があれば、学歴があれば、貯金があれば、、、。
こうして、多くの人が将来の不安に対処するために同じ方向に努力するのです。
起こるかわからない事故にあったときのために、高額な保険に入るようなものです。
これって、「多様化」と真逆だと思うんです。
私たちって「元々特別なオンリーワン」のはずなのに、知らず知らずのうちに似たような生き方になっていますよね。
今だと昔ほどではないと思いますが、親に「公務員になりなさい」、「大企業で働きなさい」、「資格を取りなさい」など恐らく多くの人が一度は言われたことがあるのではないでしょうか。
ですが、どうでしょうか。今回のコロナ禍で大企業のリストラ、公務員の給与減などで「一生安泰」という幻想は崩れました。
また、フリーターやニートの人に対して、「もっと働きなさい」、「きちんと定職に就きなさい」と言う人や、ネット上で小馬鹿にしたようなコメントを書き込む人。
今回のコロナ禍で「テレワーク」や「自粛」が浸透して、そういう方々と同じ境遇になりましたよね。
あたかも定職で長時間働いていることが正義であるかのように振る舞う人。
今回のコロナ禍で、職を失う人や短時間勤務がたくさん増えましたよね。
所詮、世間が言う常識や努力なんてそんなものなんですよ。あてにならないことが今回の騒動ではっきりしました。
世間の常識はこういう出来事一発で変えられてしまいます。だから、常識と非常識って遠いようで意外と近いんですね。
そこで、この閉塞感を打ち破るには、もっと自分をオープンにして、もっと色んな生き方が認められて、もっと他人に優しくできるような社会になることが重要で、ゆくゆくは日本という国家の繁栄にも繋がると思います。
ちなみに私は芸人、ストリートミュージシャン、旅芸人、画家など、こういう生き方をしている人に憧れます(笑)
さて、最後になりますが、今この記事を読んでいる皆さんには創造力、想像力を培っていただけると嬉しいなと思います。相手の生き方、考えを一度しっかりと聞いて、尊重してほしいのです。(自分までもがそうなる必要はないです)
そして、この時に気を付けてほしいのが、自分の意見を押し付けないことです。それによって、逆にプレッシャーに感じて、自分の意見を出せなくなる人もいると思うので。
マスメディアが声高に叫ぶ言葉に惑わされず、各々が自分と相手を認め、各々が好きなようにそれを表現していけるようになったとき、日本と言う国はこの努力という言葉の呪縛、そして息の詰まりそうな閉塞感から解放されるのではないでしょうか。
こんなにも素晴らしいアニメや漫画、ゲームを生み出せる国なんですよ!
そんなことできるの日本くらいじゃないですか。だから、私たちにはその力があるはずなんです。
先々のことを考えるのも大事なことですが、何より今楽しく過ごせているかが重要なのかなって思います。
未来って結局誰にもわかりませんし、こんな世の中なので、気持ちだけでも明るく過ごせることが大事なんじゃないかなって思います。
長くなりましたが、ここまで見ていただきありがとうございました。
拙い文章でしたが、少しでも多くの人に読んで、考えていただけると幸いです。